アルコール依存症で早死? 関ヶ原の戦いで西軍を裏切った武将「小早川秀秋」の死因を考察【後編】:2ページ目
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安土桃山時代の医師「曲直瀬道三 (まなせどうさん)」 の医学書「医学天正記」や「配剤録」には、秀秋の病状について「胸中煩問全不食」という記載が残っており、1601年には酒害による黄疸の症状が激しくなったとされている。
秀秋の死はその翌年の1602年だ。アルコールの過剰摂取によって何らかの病気を併発した結果の早世と考えるのが打倒だろう。
関ヶ原の戦いに至る過程では、「西軍」「東軍」双方から様々な勧誘を受けたとされる秀秋。幼くして天下人の後継とされ、戦国最大の合戦に身を投じた若き大名の重圧は計り知れないものがあっただろう。その重圧から逃れるために煽った「酒」が、結果的に秀秋の身を滅したのかもしれない。
参考資料
「玄朔道三配剤録」と「医学天正期」から見た曲直瀬道三一門の患者とその時代
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