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親子の確執で切腹? 天下人になり損なった徳川家康の嫡男「松平信康」【前編】

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初陣から切腹へ

1573年、14歳で初陣。信康は武勇に長けていたようで、1975年の長篠の戦いを筆頭に、77年、78年と続いた武田勢との戦いで多くの武功を上げている。

家康も信康の活躍には一目置いていたといわれており、徳川家次代当主としての期待が伺える。岡崎城主として徳川家の発展に尽力し、順調に功績を残していた信康だったが、突如としてその人生に終止符が打たれる。

1579年、信康は父・家康の命によって岡崎城を追われ、城を転々とさせられた挙句に遠江の二俣城にて切腹。享年21。また、信康切腹の直前には、生母である築山殿も殺害されており、親子揃って家康に粛清される事態となった。

自刃事件の謎

信康の切腹の原因について、明確な理由は現在でもわかっていない。その死に関しては様々な説や憶測が流布されている。

事項では一般的に唱えられている通説から、信憑性の高い分析など、信康の死を多角的に分析した説をご紹介する。

【後編へ続く】

 

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