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夫婦そろって無念の最期…戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方【完】

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エピローグ・横手五郎の最期

さて、木山弾正もお京の方も、そして嫡男・傳九郎も討死してしまいましたが、物語はあともう少しだけ続きます。

そう……お京の方が出陣前に逃がした次男は永らく潜伏し、やがて横手五郎(よこてのごろう。横手は熊本市内の地名)と称して清正の元へ現れるのです。

清正が築き上げた名城として知られる熊本城の片隅、月見櫓のそばに変わった形の大石がありますが、これは五郎が城下を一望できる花岡山(はなおかやま)から首にかけて運んだと言われることから「首掛石(くびかけいし。重量約1.8トン)」と呼ばれます。

五郎は築城人夫に身をやつし、両親と兄の仇を討とうと清正の隙を窺っていたのですが、それを勘づかれてしまったため、井戸掘り作業中に生き埋めにされてしまいました。

しかし、1.8トンの大石を首にかけて運ぶような怪力の持ち主ですから、上からいくら岩を投げ込んでもすべて受け止め、投げ返されてしまいます。

「何という馬鹿力だ!」

手を焼いた清正が今度は土砂を流し込ませると、さすがの五郎も受け止め切れず、とうとう埋め立てられてしまったのでした。そんなわけで、五郎は今も熊本城のどこかに眠っているそうです。

こうして清正に立ち向かったお京の方たち一家四人は全滅してしまいましたが、彼女たちが示した武勇や心映えは、肥後国をはじめ多くの人々に伝えられ、今なお愛され続けています。

【完】

※参考文献:
国史研究会 編『国史叢書. 將軍記二 續撰清正記』国史研究会、1916年
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年
松田唯雄『天草温故』日本談義社、1956年

 

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