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死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】

死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】:3ページ目

壮絶な討死、そして告げられた思い

そして賤ケ岳の決戦当日。兵助は宣言どおりに一番槍で敵陣に突入し、大いに暴れ回りましたが、柴田方の与力・拝郷五左衛門家嘉(はいごう ござゑもんいえよし)の繰り出した槍に左目を貫かれて討死してしまいます。

「兵助!」

その背中を追いかけて来た市松は拝郷を討って仇を取り、戦は勝利の内に終わりました。

「そなた……兜さえ着けておれば……」

戦後の論功行賞では市松が一番槍として秀吉から賞されましたが、市松は「それがしの前に、兵助が先駆けておりました」と申し出、不惜身命の武功を惜しんだ秀吉は、兵助の代わりとして末弟の長松(石川一宗)に一番槍の感状と知行1,000石を与えたのでした。

「……あの時、兵助が兜さえ着けておればと、未だに惜しまれる……」

後に市松が兵助のことを思い返すと、それを聞いた孫六が答えます。

「そう言えば、兵助が戦の前夜に兜を差し出してな。わしを影武者にでもする気かと打ち捨てたが、本当にあの兵助が、そのような事を考えたのじゃろうか……」

話を聞いた長松は、亡き兄・兵助が孫六に寄せていた思いを打ち明けたのでした。

「そうだったのか……」

「恋死なん 後の思いに それと知れ ついに洩らさぬ 中の思いは」

【意訳】私が死んだら、火葬の煙に感じて欲しい。生涯打ち明けることのなかった、あなたへの恋心を。

※『葉隠聞書』より。

あの時、兜を受け取って、代わりの兜を与えていれば、もしかしたら……そう思い返して、三人は男泣きに泣いたのでした。

エピローグ・勇者の屍を乗り越えて

歴史物語においては往々にして勝者、こと生き残った者にのみ注目が集まりがちです(生き残った勝者が記録することが多いため、仕方ないとも言えますが)。

しかし、敗者にもその信じる正義があったことはもちろん、死んだ者もまた、勝ち残った者以上の功績を上げることも少なくありませんでした。

実際、後世(江戸時代)の兵法家・山鹿素行(やまが そこう)は「賤ケ岳の七本槍には、福島正則よりも石川一光をこそ加えるべき」旨を述べるなど、再評価されています。

これまで数知れぬ勇者たちが命を顧みず困難へ挑み、その累々たる屍の上に生き残った者たちが新たな時代を切り拓いて来ました。

まだ私たちの知らない英雄たちが、歴史の中で眠っているのを、これからも見つけていきたいものです。

【完】

参考文献:
池上裕子ら編『クロニック戦国全史』講談社、1995年12月
高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1973年7月
白川亨『石田三成とその一族』新人物往来社、1997年12月

 

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