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今世紀最大の発見!?豊臣秀吉が溺愛する秀頼のために築いた「幻の京都新城」が発掘される

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きっと(秀吉の性格上、間違いなく)聚楽第にも引けを取らないか、それ以上に豪華絢爛な城だったことが察せられるものの、与えられた当の秀頼が住んでいた期間は短く、秀吉が慶長三(1598)年8月18日に亡くなると、その遺命によって秀頼は大阪城に入りました。

その代わりに秀吉の未亡人である高台院(こうだいいん。北政所、おね)が入ったため「高台院屋敷」と呼ばれ、寛永元(1623)年に没するまで二十数年にわたって使われます。

高台院の没後は甥の木下利房(きのした としふさ)が住んだものの、寛永四(1626)年に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が譲位の意向を示された際、その仙洞御所(退位された天皇陛下の御所)を建てるために解体されたのでした。

こうして見ると、せっかく秀頼のために築いたのに、秀頼が住んでいたのは1年弱で、ほとんどの期間は高台院の隠宅として使われていたことが判ります。

「最初っからこうなる(私がメインで使う)と知っていれば、こうまで豪華にはしなかった(愛情は注がなかった)でしょうね……」

あの世から、そんな高台院の苦笑が洩れ聞こえて来そうですね。

参考:

 

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