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決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【上】

決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【上】

シベリアでバーの女将になり、馬賊・孫花亭と出逢う

そんな荒んだ20代を送った菊子は、30歳も過ぎた大正五1916年ごろからブラゴヴェシチェンスクにバー「オーロラ宮殿」を開業。アムール河を挟んでシベリアと満洲の境界を往来する人々を相手に商売を始めました。

一説には、菊子が関東軍(日本軍)の諜報員として雇われていたとも言われていますが、酒場には様々な人が集まるので、情報収集にはもってこいの環境と言えます。

お客がたくさん来ればもちろんいいし、来なくても経営資金は日本軍が出してくれるから倒産の心配はなく、むしろ衆目を避けたい人からとっておきの情報を聞き出せるチャンスもあり、菊子の商売は順調でした。

(関東軍のお偉いサンに、コネ作っておいてよかった……まぁ、売り上げはピンハネされるけど、その分は「副業(むしろ本業?)」でカバーすればいいし)

そうして多くの客と「副業」に励む菊子の店に、ある男性がやって来ました。彼の名は孫花亭(そん かてい)。間島(ジェンダオ。現:吉林省延辺朝鮮族自治州)を縄張りにしていた馬賊の頭領で、かの大軍閥・張作霖と義兄弟の盃を交わしています。

張作霖の名を知らぬ満洲馬賊はモグリ、と言われるくらい強力なネームバリューを活かして急成長を遂げていた孫は、いわば馬賊界のホープでした。

「あら……」

英雄の気質を湛える孫に惹かれた菊子は彼と懇ろになり、いつしか「副業」にも身が入らなくなってしまったとか。

「……出来ればこのまま水商売から足を洗って、この人とカタギになれたらいいな……」

7歳で売り飛ばされて以来ずっと夢に見ていた、貧しくてもみんなが一緒に幸せな家庭生活。もしかしたら、それが実現できるかも……菊子がそう思い始めた矢先の事でした。

【続く】

※参考資料
「歴史街道 2007年6月号 満州と満鉄の真実」PHP研究所、2007年
祖田浩一 監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1998年
渡辺龍策『馬賊 日中戦争史の側面』中公新書、1964年

 

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