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武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【下】

武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【下】

京都への堂々たる凱旋、新しき世の武士を夢見て……

その後、庄内藩が再び関川口に攻めてくることはなく、9月27日に藩主・酒井忠篤(さかい ただずみ)が新政府軍に恭順。

これで東北戦線はひとまず落ち着いたため、庄内藩の戦後処理は他藩にお願いして甲賀隊をはじめとする諸隊は越後口総督(北陸方面の総大将)である仁和寺宮嘉彰親王(にんなじのみや よしあきしんのう)に従って奠都・東京に入り、11月4日に明治天皇に拝謁して賊軍討伐の錦旗を返上。

そして12月1日、約半年ぶりに京都へ凱旋した一同は、嘉彰親王にゆかりの深い仁和寺で大歓迎を受けて、その夜は祝勝会が催されました。

「いやぁ、奥羽の賊徒も平定されてまずはめでたい。まだ抵抗を図る残党もおるようじゃが、その降伏も時間の問題であろうよ」

「関川口での攻めぶり、防ぎぶりは甲賀古士の面目躍如、かの武功を以てすれば、武士へのお取り立ては疑いなかろう」

「左様々々。我ら新しき世の武士、甲賀新士などと称する日も、そう遠くはなかろうのぅ……」

などと大きな期待に胸を膨らませたのかも知れませんが、彼らの希望がついに果たされなかったのは、こんにち歴史に語られる通りです。

エピローグ・甲賀忍者の末裔たち

甲賀古士たちは「武士になる(武士の身分を取り戻す)」望みを賭けたからこそ江戸幕府を見限って新政府軍に味方したのに、その新政府軍が「武士の世を改める(武士をなくす)」ために戦っていたのは、実に皮肉というよりありません。

ともあれ武士という身分がこの世から消滅してしまった以上、執着しようもなくなった甲賀古士たちは甲賀流忍術が得意としてきた製薬業で生計を立てるようになります。

現代でも甲賀忍者の末裔によって創立された企業が数多く存在していますが、私たちが日ごろ利用する医薬品の中に忍術の知恵が活かされていると思うと、歴史のロマンを感じずにはいられません。

【完】

参考文献
藤田和敏『〈甲賀忍者〉の実像』吉川弘文館、2011年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
和歌山県立文書館「文書館だより 第36号」和歌山県立文書館、2013年

 

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