許してあげてよ…戦国時代、おならが発端となって恨みを買い暗殺された武将がいた!:2ページ目
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新年の祝いの席で…
それは新年早々に行われた祝賀会でのこと。邦胤の近習で配膳係を務めていた鍬田孫五郎(くわた-まごごろう)が2回、大きなおならをしてしまいました。
これに我慢できなかった邦胤は孫五郎を叱りつけますが、孫五郎は「突発的なことは誰しもあるのに、この場で恥をかかせるとは酷いです。」と反論。
この発言が邦胤の怒りをさらにヒートアップさせることになり、邦胤は孫五郎を蹴り倒すと短刀に手をかける事態に。
家臣たちが間に入ったことによって邦胤はなだめられ、孫五郎は謹慎となりました。そして数か月後には邦胤の計らいもあり、近習として再び働き始めます。
しかし、孫五郎は祝賀会の恨みを忘れてはおらず、いつの日か邦胤に恨みを晴らすつもりでいました。
おならの恨みで暗殺
そして、天正13年(1585)5月1日、孫五郎は就寝中であった邦胤に短刀を突き刺します。騒ぎを聞きつけた家臣は血まみれになった邦胤を見つけました。邦胤は「鍬田を逃さず、討ち取れ」と言うと29歳の若さで事切れました。
邦胤の遺言通り、家臣たちは孫五郎を発見し取り囲むと、孫五郎はその場で自害。
その後の千葉氏は邦胤死後の5年後に起きた小田原征伐によって領地を没収され、戦国大名としての千葉氏は滅亡してしまうのでした。
最後に
おならで起こした恨みで暗殺されるという最期を迎えた戦国武将は珍しく、非常に驚きました。たかが生理現象とはいうものの、時と場所を考えないと思わぬ結果が招いてしまうので、注意が必要ですね。
邦胤自身もおならを見過ごせる寛容さがあれば、歴史が変わっていたかもしれませんね。
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