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「遊女=身体を売る」ではなかった。遊女のルーツが登場する記録は「万葉集」にまで遡る

「遊女=身体を売る」ではなかった。遊女のルーツが登場する記録は「万葉集」にまで遡る:2ページ目

元々「遊女=売春をする女」ではなかった

しかし更に時代を遡ると、 貴族の屋敷の宴席に呼ばれて歌ったり踊ったりする女性「遊行女婦」は、必ずしも「売春」をする仕事ではなかったことが分かります。

天皇が崩御された際、当時は遺体を葬儀の日まで安置していくおく「殯宮(もがりのみや)」という場所で、歌ったり踊ったりする神事を行う女性たちがいました。彼女たちは「遊部(あそびべ)」という部署に配属されており、「全国を自由に行き来できる」という特権が与えられていました。

この制度は後に廃止され、行き場を失った彼女たちの中には「遊行女婦」として地方の貴族のお相手となった女性もいたようです。

当時の日本は現代のような一夫一婦制ではなかったこともあり、既婚者が配偶者以外の異性と関係を持っても、週刊誌やワイドショーでつるし上げられるような騒ぎになることはありませんでした。

また古代は女性の地位が比較的高かったため、「遊女=身体を売る=卑しい」という価値観もありません。

ちなみに「遊部」を統括していた中には「猿女君(さるめのきみ)」という氏族がいました。

この氏族の祖先とされているのが、『古事記』『日本書紀』で 天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を外へ出させるために踊りを踊って活躍した女神「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」

いやはや、「遊女の歴史」はなかなか奥が深いようですね。

参考:江戸の色町 遊女と吉原の歴史/安藤優一郎 監修

 

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