青森県新郷村に残されたキリストの墓。キリストは青森県で生涯を終えた?:2ページ目
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また、村の赤ちゃんには、魔よけとして額にクロスを書く習慣がありました。村の野良着は、ユダヤの民族衣装に酷似していましたし、赤ちゃんのゆりかごはユダヤの伝統的なゆりかごと同じ形態でした。
また同村周辺に伝承されているナニャドヤラーという民謡は、日本語としては一切理解できないが、古代ヘブライ語として聞くと意味が分かるといいます。戸来村の“ヘライ”も“ヘブライ”が訛ったものともいわれています。
このキリスト伝来の伝説は本当なのでしょうか。現在のキリストの墓の横には、イスラエル大使館が建てた記念碑があります。また、新郷村とエルサレムは姉妹都市でもあります。イスラエル大使が来村したこともあります。
正史では、隣の唐までの道のりを、シルクロードづたいにユダヤ人がやってきています。そのことを考えると、冒険心のあるユダヤ人の一部が日本に来ていてもなんら不思議はありません。
ひょっとすると、古代イスラエルの地から追われた十支族の一部はシルクロードを通って、日本に来たのかもしれません・・・。
参考
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