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山吹の花から和歌に目覚めた戦国武将・太田道灌のエピソード

山吹の花から和歌に目覚めた戦国武将・太田道灌のエピソード

常在戦場!和歌を究めた道灌の辞世

その後、道灌は勉学の成果を発揮して生涯に多くの和歌を詠みましたが、その白眉とも言えるのが辞世の句。

文武両道を究めた名将として知られた道灌は、その優秀すぎるがゆえに主君・扇谷定正(おうぎがやつ さだまさ)から妬まれ、「いつか下剋上(げこくじょう。クーデター)を起こされるかも知れない」という疑心暗鬼の末に暗殺されてしまいます。

暗殺の手口はなかなかえげつなく、まずは屋敷に招待して「旅の垢を落としなされ」と風呂へ案内し、サッパリした素っ裸を槍で突き殺すというものでした。

刺客は曽我兵庫(そがの ひょうご)と言いましたが、この兵庫がなかなか気の利いた(と言うか、ちょっと嫌味な)男で、道灌が和歌を嗜むことを知っていて、こう詠んだそうです。

「かかる時 さこそ命の 惜しからめ」

【意訳】さぞ悔しかろうな、こんな状況で殺されて……

槍をグリグリとねじ込みながら、今まさに敵を殺す昂揚感と同情を綯(な)い交ぜた表情で、兵庫は詠んだことでしょう。

(どうだ、坂東に知られた当代随一の英雄が、こんな死にざまを晒そうとは……どうじゃ、悔しかろ?悔しかろ……?)

しかしそこは流石の道灌、奥歯を食いしばりながら下の句を返します。

「……かねてなき身と 思い知らずば」

【意訳】そうだな……死ぬ覚悟が出来ていなかったら(悔しかったかも知れん)な!

(何を戯けたことを……武士であるなら常在戦場、死ぬ覚悟くらい常日頃からしておるわ!)

己が死に際してもなお当意即妙の返歌を詠んだ道灌の境地は、既に達人の域にあったと言えるでしょう。

終わりに

そして最期に「当方滅亡!」と叫ぶと、道灌は絶命しました。

当方とは道灌の主君である扇谷上杉家であり、柱石として支えてきた自分がいなくなれば、扇谷上杉家は滅亡してしまうだろう……そう予言したのでした。

実際のところ、道灌を暗殺するよう企んでいたのは扇谷上杉家の領土を虎視眈々と狙っていた相模国(現:神奈川県)の大名・伊勢新九郎長氏(いせ しんくろうながうじ。後の北条早雲)で、定正の嫉妬心を煽って暗殺させたという説もあります。

やがて道灌の予言通りに扇谷上杉家は滅ぼされてしまいましたが、道灌もそこまで見通せる眼力と主君への忠義があったなら、妬まれないよう立ち回ることも出来たでしょうに、とも惜しまれます。

以上、ひと枝の山吹から和歌に目覚めた太田道灌のエピソードでしたが、その奥ゆかしい典雅の道は、現代に生きる私たちも強く惹きつけ続けます。

※参考文献:
黒田基樹『扇谷上杉氏と太田道灌』岩田書院、2004年7月
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』角川叢書、2008年7月

 

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