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江戸時代、遊郭を仕切る楼主は差別対象!?なかには自殺してしまった楼主も…

江戸時代、遊郭を仕切る楼主は差別対象!?なかには自殺してしまった楼主も…:2ページ目

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2020/02/18

痛烈に差別されていた楼主たち

一般の人たちは、身売りされてしまった遊女に対して同情的な視線を向けていたのでしょう。その反面、遊女たちを束ねる楼主は批判の対象となりました。

楼主は「忘八(ぼうはち)」と呼ばれ、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの徳を忘れたという意味で蔑まれていたのです。

「日本誌」内で、ケンペルは楼主に対して「決して公正な市民ではない」と差別的な意見を述べています。外国人だけでなく、江戸の市民や幕府の人間でさえも、楼主の所業は人間のすることではないと痛烈に非難しているのです。

江戸時代の見聞録・世事見聞録には、楼主を「およそ人間にあらず」と表現しています。また、ある訴えを起こされた楼主に対して、幕府からは「楼主は四民の下」だと批判されていました。

江戸前期の俳人・榎本其角(えのもと きかく)は、著書「雑談集」の中に自殺した楼主のエピソードを載せています。

その楼主は、自分の立場を恥じて風流に身をゆだねたが、その状況になんら変わらないことに絶望して自分で命を絶ってしまったそうです。

また、吉原遊郭創立に奔走した立役者・庄司甚内は武家の血筋という説があります。ただし、楼主になったことを恥じていたため、決して父の名を明かさなかったとか。

苦界に身を落とし、地獄のような日々を過ごして生きた遊女たち。そして、彼女たちを束ねていた楼主たちにも、それぞれの事情があったのかもしれません。

参考書籍:安藤 優一郎「江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活」

 

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