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戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【上】

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抜け駆けを見逃す重忠の余裕と、義村たちの雑草魂

かくして夜陰に紛れて陣中を抜け出した義村以下七人は、畠山重忠の陣地を横目に通過していきました。

当然、そんな動きはたやすく察知されてしまいますが、発見した郎従の(早く義村たちを足止めすべきとの)進言を、重忠は退けます。

「先陣をこの重忠が承った以上、我らが戦端を開く以前に誰が何をしようと、その勲功はすべて重忠に帰するものである。そもそもこの戦は頼朝公の命じた大義によって行うものであり、我ら御家人が個々の手柄を争うなど下らぬこと……まぁ、捨て置け」

【原文】……すでに先陣を承るの上は、重忠が向はざる以前の合戦は、皆重忠が一身の勲功たるべし。かつは先登(せんど)に進まんと欲するの輩の事、妨げ申す條、武略の本意(ほい)にあらず。かつはひとり抽賞を願ふに似たり。ただ惘然をなすこと神妙の儀なりと云々……

※『吾妻鏡』文治五年八月九日条より。

流石はエリートの余裕と言ったところでしょうか、ここにも「鎌倉武士の鑑」と称せられた重忠の高潔な人格と、頼朝公に対する篤い忠誠心がうかがわれます。

しかし義村たち中小武士団にとって見れば、恩賞の有無は死活問題。たとえ下らなかろうと、どんなにみっともなかろうと、一族郎党を食わせていくため、功名を目指して遮二無二突き進むよりありません。

「行くぞ!雑草魂を見せてやる!

見逃してくれたのをこれ幸いと、義村たち七人は夜通し駆けて峰々を越えて行ったのでした。

【中編に続く】

※参考文献:
貴志正造 訳注『新版 全訳 吾妻鏡 第二巻 自巻第八 至巻十六』新人物往来社、2011年11月30日
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月20日

 

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