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人を斬る「痛み」と武人の覚悟!「日本書紀」に登場する豪族・物部目の武勇伝を紹介【下】

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人を斬る「痛み」と武人の覚悟

かくして物部目と大斧手が「肉を切らせて骨を断つ」作戦で朝日郎を討ち取ると、後の者たちは烏合の衆。伊勢国の叛乱はほどなく鎮圧されました。

朝日郎の弓勢に怯んで後れをとってしまった菟代は、我が身を恥じて自ら謹慎。その卑屈な態度が雄略天皇の怒りに触れて、猪名部(ゐなべ。現:三重県員弁郡東員町+いなべ市)の領地を没収されてしまいます。

(※一説に、猪名部とはその地に住む工匠集団=部民を指すとも言われます)

猪名部は物部目に武功の恩賞として下賜されましたが、公明正大な物部目ですから、身体を張って守ってくれた大斧手をはじめ、家臣たちにも十分な褒賞を分かち与えたことでしょう。

この物部目と菟代の違いは、ひとえに人を斬る「痛み」に対する覚悟によって表れたものと言えます。

敵は斬らねばならないが、自分が痛いのは嫌だ、絶対に傷つきたくない……そういう考えではあと一歩を踏み出せず、結局怯んで後れをとるか、あるいはむざむざ討たれる憂き目を見ることになります。

「……死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり……」
※上杉謙信「春日山城壁書」より。

まして逃げ出したところで、どこでどんな道を生きていこうと言うのでしょうか。卑しくも武に生きる上は、眼前の敵を倒すよりほか道なきものと突き進んでこそ、運も開けて来ようもの。

どんな強敵を相手にしようと、決して逃げ出すことなくその「目」で見据えて勝機をものにした物部目の生き方は、武人の鑑として今に伝えられています。

【完】

※参考文献:
福永武彦 訳『現代語訳 日本書紀』河出文庫、2005年10月5日

 

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