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目力ハンパなさそう!「日本書紀」に登場する豪族・物部目の武勇伝を紹介【上】

目力ハンパなさそう!「日本書紀」に登場する豪族・物部目の武勇伝を紹介【上】

雄略天皇十八474年8月、伊勢国(現:三重県)で起きた朝日郎(あさけの いらつこ)の叛乱を討伐するため、雄略天皇は物部宿禰菟代(もののべのすくね うしろ)を総大将、物部目を副将に軍勢を派遣しました。

朝日郎は「官軍何するものぞ」と伊賀国にある青墓(現:三重県伊賀市、御墓山古墳と推定)まで進軍、そこに立て籠もって迎え撃ちます。

「そなたらに勝ち目はない……降伏すれば命だけは……」

お決まりの和平交渉があっさり決裂すると戦闘開始、数に勝る官軍の圧勝かと思いきや、朝日郎は弓の名手。

我が矢を受ける勇気はあるか(朝日郎手、誰人可中也)!」

百発百中の腕前で次々に官軍の兵士を射殺し、鎧を二枚重ねに着込んだ者まで仕留められると、菟代は慌てて全軍に後退を命じます。

「……うぅむ、朝日郎の弓勢(※5)を前にすると、皆が怯んでしまう……さて、どうしたらよいものか……」

菟代は考え込んだまま戦闘は中断、そのまま日が暮れてしまいました。果たして物部目たちは、朝日郎を倒すことが出来るのでしょうか。

(※3)ゆうりゃくてんのう。第21代天皇陛下。在位西暦457年~479年
(※4)しこのみたて。尊く美しい者(天皇陛下)の守護役を意味する謙譲語。
(※5)ゆんぜい。弓を引いて矢を射る力の強さ。弓の威力。

【下に続く】

※参考文献:
福永武彦 訳『現代語訳 日本書紀』河出文庫、2005年10月5日

 

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