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貧乏してもユーモア大事!「徒然草」の作者・兼好法師の手紙があまりに回りくどすぎる件

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ユーモアのセンスが通じ合う喜び

兼好法師はなぜ笑ったのか、そして頓阿の返歌には、一体どういう意味があったのか……その謎を解くカギは歌の文言ではなく、各行の最初と最後の一文字にあります。

どういう事か、わかりやすく両者の歌を平仮名にしてみましょう(※濁点を除きます)。

【兼好法師の歌】
」もすす「
」さめのかり「
」まくら「
」そてもあき「
」たてなきか「

【頓阿の返歌】
」るもう「
」たくわかせ「
」てはこ「
」おさりにた「
」はしとひま「

行頭の文字を縦読みすると、兼好法師は「よねたまへ」つまり「米(よね)給(たま)え=お米を下さい」というメッセージを発しているのがわかります。

同じ要領で頓阿の返歌を縦読みすると、「よねはなし」つまり「米は無し」と言っており、これは本当に蓄えがないのか、あるいは「あなたに分けるほど多くの米はない」と言いたいのかは判りませんが、それを追及するのは野暮というものです。

そして行末の文字ですが、今度は下から上に読むと兼好法師が「銭も欲しい(せにもほし)」と言っているのに対し、頓阿は「銭は少ししかない(せにすこし)」と答えているのがわかります。

愛しの彼はなぜ来てくれず、兼好法師は仮庵で独り寒さにふるえなければならなかったのか……その理由は「米がなく、銭も少ししかなかった」からに他なりません。

この様子では米も銭も分けてもらえそうにありませんが、兼好法師には友人が自分のセンスを理解してくれたことの方が嬉しかったようです。

終わりに

襤褸(ぼろ)を着てても心は錦……どんなに貧乏しても、常にユーモアを忘れない兼好法師の人柄が偲ばれるエピソードでした。

しかし、頓阿もよく解読できたものです(レベルが釣り合うから友達でいられたのでしょうが)。知的なインテリとして大人気だった兼好法師ですが、実際身近にいたら、ちょっとめんどくさい人だったのかも知れませんね。

※参考文献:
蛇蔵・海野凪子『日本人なら知っておきたい日本文学 ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典』幻冬舎、2011年8月25日
吉田兼好『新訂 徒然草』岩波文庫、1985年1月1日

 

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