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15歳でバツ2だって!?「マムシの娘」帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁ぐまでの結婚歴を紹介

15歳でバツ2だって!?「マムシの娘」帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁ぐまでの結婚歴を紹介

二人目の夫・土岐次郎頼純

夫を失い、悲しみにくれていた濃姫ですが、娘の涙ごときに心を痛めるようでは「マムシの道三」とは言えません。

天文十五1546年9月、政敵を追放した道三は土岐次郎頼純(とき じろうよりずみ。頼香の甥)を守護職に就けて傀儡(かいらい。操り人形)とし、濃姫を嫁がせることで美濃国の支配権を掌握しました。

濃姫は12歳になっており、そろそろ成人(当時の成人は13~15歳ごろ)を迎える多感な時期にあって、その胸中は複雑きわまるものだったと察せられます。

しかしそのままめでたしめでたしとはならず、結婚から一年ほどが過ぎた天文十六1547年11月17日、頼純が急死してしまいました。

直接の死因は不明ですが、美濃国守護として自立(傀儡からの脱却)を目指したことを疎ましく思った道三に暗殺されたものと見られています。享年24歳。

頼香よりも年齢が近かったと推測され、また濃姫の方にも女性としての自我が確立しつつある時期とあって、又しても夫を失った悲しみは、頼香の時以上だったことでしょう。

信長の元へ嫁ぐことになる、2年前のことでした。

終わりに

(……しょせん私は、父にとって野望を遂げる謀略の道具に過ぎない)

相次ぐ夫の死を直面し、濃姫がそう悟ったかどうかはわかりませんが、いくら戦国乱世とは言え、傷心の娘さえ「政略の道具」として徹底的に使い倒す道三の「マムシっぷり(ゲスぶり)」には改めて驚かされるばかりです。

とかく「マムシの娘」として愛情の薄い女性に描かれがちな濃姫ですが、こんな過去を知らされたら「そりゃ冷たくもなるわ」と納得、むしろ同情すら禁じえません。

(どうせ今度の夫・信長も、父に殺されてしまうのでしょうし……)

そうならなかったのは幸か不幸か、信長からどのように扱われたのか不明な濃姫ですが、せめてあの世では存分に愛されて欲しいと思います。

※参考文献:
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999年9月3日 初版
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018年10月5日 4版

 

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