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「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【下】

「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【下】:2ページ目

一振りの太刀、一領の具足に二、三人が取りすがって奪い合い、ほとんど裸で太刀だけ持つ者、鎧は着たものの素手で敵に向かっていった者など、ほとんど勝負になりません。

「御屋形様、ここは我らが食い止め申す!早うお逃げ下され!」

大太郎をはじめ、多賀新九郎(たが しんくろう)、菅谷源次郎(すがや げんじろう)、本間佐助(ほんま さすけ)と言った歴戦の勇士たちが北条方の大軍に敢然と立ち向かいます。

北条方の中山新蔵、平沢源太、山名八郎、瀬川小平六、宮崎助六と言った名高い武将たちを次々と討ち取るも、あえなく玉砕。享年25歳の若さながら、天晴れ「坂東武者の鑑」に相応しい最期を飾ったのでした。

終わりに

以上、「槍大膳」父子二代の武勇伝を紹介してきましたが、これらの武芸は彼らが特別だった訳ではなく、戦国乱世に生きるものであれば当然に心がけるべき修練でした。

近年では「実際に馬上で槍(に見立てた棒など)を扱ってみたが大変だった。こんな状態では武士たちも到底戦えなかっただろう」という主張も散見されますが、それはあまりに武士たちを侮った物言いではないでしょうか。

ちょっと片手間で「馬に乗り、長物をいじってみた」程度の現代人と、「敵を殺さねば自分が殺される」極限状況下の武士を同列に見なすこと自体がナンセンスです。

少しでも高い位置から、リーチをとって攻撃することの優位性は、真剣に「闘った」ことがある者ならば容易に理解できます。

そこに人馬一体の機動力が備われば申し分なく、技術的に困難ではあっても、習得するだけの価値がある(戦場における生存率を高める)ことは言うまでもありません。

もちろん、殺し合いなんてしないに越したことはありませんが、殺さねば生きていけなかった厳しい時代の人々を、現代の平和に慣れた価値観から安直に解釈してしまうのは、先人たちが血を以て書き記した歴史に対する誠実さが損なわれてしまうように感じられます。

【完】

※参考文献:
佐藤正英校訂/訳『甲陽軍鑑』ちくま学芸文庫、2013年8月5日 第3刷
稲田篤信『里見軍記・里見九代記 里見代々記』勉誠出版、平成十一1999年5月20日 初版

 

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