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明治の断髪令でも生き延びた力士の髷。力士や舞妓さんはなぜ今でも髷を結っているのか?

明治の断髪令でも生き延びた力士の髷。力士や舞妓さんはなぜ今でも髷を結っているのか?

明治維新の「断髪令」があっても生き延びた力士の髷

一方、力士が髷を結っている理由は、少し違っているようです。

明治維新とともに「文明開化」の波が押し寄せた時代、当時の男性が結っていた「丁髷(ちょんまげ)」は外国人からあまり評判が良くなかったため、「外国と対等に付き合うには、まず髪型から!」と考えた政府により「断髪令」が発令されました。

しかし相撲の力士だけは、髷を結ったままでOKとされました。それどころか1909(明治42)年には「関取は大銀杏を結うこと」という規定も作られました。

こうなった背景には、伊藤博文など政府の要人に相撲好きがいたこと、大銀杏の規定が作られた1909(明治42)年には大相撲の興行を行うための会場が「国技館」と名付けられたことなどが関わっていたようです。

「日本の国技」なら「日本の伝統に根ざしていなくては」と考えられ、髷も含めた伝統文化がそのまま継承されたのです。

ちなみに行司の服装も、この時までは江戸時代と変わらない裃(かみしも)と袴でした。
しかし「相撲は神事であるから」という理由で、より伝統的で威厳のある烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)という、現在の行司の衣装に変更されたのです。

今では、外国人力士もみんな髷を結ったままで生活を送っています。

 

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