人が深い恨みを残して亡くなれば、怨霊と呼ばれるようになった例はいくつかあります。
中でも日本三大怨霊の「菅原道真・平将門・崇徳院」は有名ですが、それ以前に日本史で初めて怨霊となった悲劇の皇族がいました。その名を「長屋王(ながやおう 又は ながやのおおきみ)」といい、飛鳥時代から奈良時代に存在した皇族になります。
皇族として権力を誇っていた長屋王
長屋王は第40代天皇・天武天皇の孫にあたる人物です。妻の1人である吉備内親王の兄は第44代天皇・元正天皇であったことから、天皇の信任を得ていたとも言われています。
時の権力者である藤原鎌足の次男・藤原不比等に次ぐ位置に、早い段階で駆け上がった事実から考えても、特別な存在だったのでしょう。
さらに藤原不比等が亡くなると、そのポジションを引き継ぐほどの権力を持つようになりました。しかし、この出世をよく思わなかったのが、藤原不比等の息子たち・藤原四兄弟です。
藤原四兄弟は自分たちが権力を持つために妹を皇后にさせようとしますが、これに反対したのが長屋王でした。