3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【二】:2ページ目
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船頭の使命を全うし、勘左衛門が逝く
「ばんざーい!」「良かった、良かった……」
伝馬船をしっかりと係留した長右衛門らは、生きて再び地上に降り立った喜びを分かち合います。
「船に残した荷物も気になるけど、今日のところはゆっくり休んで後のことは明日にしよう」
とりあえず今夜のねぐらを探していると、湧き水を発見。これまでみかんや釣った魚だけで渇きをしのいでいた一同は、これまた大歓喜です。
「やったぁ!夢にまで見た真水だぁ!」
心ゆくまで全身を潤した一同は、満足してその場に野営しますが、翌2月21日、目が覚めてみると勘左衛門が息を引き取っていました。
「……親方……」
死因は長い漂流生活による過労の蓄積と、冬の寒さによる低体温症と推測されます。
何より漂流中、自分の船に乗り組んだ者たちを案じた心労も重なったことでしょう。再び上陸できた安堵感から、どっと力が抜けてしまったのかも知れません。
そして浜辺に出てみると、悪いことは重なるもので、錨泊しておいた船が昨夜の波風に耐えかね、ボロボロになって沈んでいました。
あと一日漂流を続けていたら、長右衛門たちは悲惨な末路を辿っていたでしょう。あるいはもしかしたら「みんなを陸地に届けるまでは」と気を張っていた勘左衛門の想いに、船が応えてくれたのかも知れません。
しかしそんな感傷に浸る間もなく、長右衛門ら6名には、生き残るため更なる試練が待ち構えているのでした。
※参考文献:
田中弘之『幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』中公新書、1997年10月
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