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関ヶ原の戦いで一番の手柄を上げた!でもマイナーな「可児才蔵」の武勇伝を紹介!

関ヶ原の戦いで一番の手柄を上げた!でもマイナーな「可児才蔵」の武勇伝を紹介!

頼りない主君は容赦なく見限る肝っ玉の持ち主

その後に起きた本能寺の変で織田家は壊滅したので才蔵は豊臣秀次に仕えます。秀次に従って天正12年(1584)の小牧長久手の戦いに参加します。

才蔵は徳川軍に対して野戦を敢行しようとする秀次に対して猛反発をしますが、聞き入れられませんでした。

そして、徳川軍の奇襲を受け秀次隊は壊滅し、秀次は命からがら徒歩で敗走します。そんな秀次を尻目に才蔵は馬で余裕の撤退をしていました。

見かねた秀次は才蔵に馬を貸せと言いますが、才蔵は「雨の日の傘に候(雨の日には傘が必須であるように、今この時に必要な物は譲ることはできない)」と言いました。

後日秀次の怒りを買った才蔵は出奔し、浪人となってしまいました。

主君には厳しい才蔵でしたが、部下には優しく武勇が優れていた部下がいると自分の碌を分け与えるという一面もありました。

上司が間違いを起こすときちんと注意し、部下を大切にする才蔵はまさに理想の上司でもありますね。

3ページ目 槍の名手で「槍の才蔵」の別名も

 

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