武家や天台宗のトップにも君臨!鎌倉時代の超人「護良親王」はまさにパーフェクトヒューマン!:3ページ目
武家のトップにも!
護良親王は元弘元年(1331)に起きた元弘の変を機に還俗し、挙兵します。日ごろから鍛えていた武芸を見せるのは今と言わんばかりに護良親王は吉野や高野山など各地を転戦してゲリラ部隊のように鎌倉幕府と2年間戦い続けました。
途中で後醍醐天皇は隠岐へ流されるのですが、その時に護良親王は識見と軍略で反鎌倉幕府勢力をまとめあげ戦い抜いたリーダーとしての一面も持っています。
元弘の変に勝利した後醍醐天皇は念願だった建武の新政を始めます。この新政で護良親王は征夷大将軍に任命され、足利尊氏と対立します。
しかし、尊氏暗殺のために行った辻斬りが護良親王の信頼を地に落してしまい、後醍醐天皇により征夷大将軍と皇位を剥奪されて鎌倉へ幽閉されてしまうのでした。
最後に
皇族でありながら、天台座主と征夷大将軍になった護良親王。天台宗と武家のトップを生きているうちに任命されたカリスマ性と武勇誉れ高い働きはまさに日本史史上稀に見るパーフェクトヒューマンだと思いますね。