庶民の古典になった人形浄瑠璃の演目「曽根崎心中」を読み解いてみよう!
この世の名残り、夜も名残り。
死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。
ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそ、あはれなれ。
七五調だから、夜は「よ」と読む。
つまり世と夜をかけた音喩、行くと道は縁語だから霜は心中するふたりのこころの隠喩、消えていくは意味による掛詞。夢は儚い人生を表し、夢を繰り返して強調しています。なお、こその係り結びで已然形で終わっています。
旧暦の4月だから初夏のはずなのに、真冬のように凍り付いた夜空に星が煌いている情景が二重写しになっています。
実は梶芽衣子さん主演の映画もあるのだが、無料では見当たらない。かわりに慰霊祭を見つけました。
[amazonjs asin=”4003021118″ locale=”JP” title=”曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)”]謎は、なぜふたりが自殺しなければならなかったのか?
文学は、どんなに非道いダメな人間でも、生きていいんだよ、と教えるためにある。そう述べた小説家がいますが、登場人物ばかりか影響を受けた当時の男女まで死んでしまった。
徳兵衛は親友のために大切なお金を貸して騙し取られる。十六夜日記の鎌倉時代にもう土地争いの裁判があるのに、きちんと訴え出て闘おうともしない。元禄時代の大阪といえば世界最初の先物取引所が出来ていた。貨幣経済だから借用書、契約でのトラブルも多発していたはず。
誠実に仕事をしていたというが、両親が死んで継母に育てられ、勝手に不貞腐れていたのか、色町に通い悪人を親友としていたのでは商法の勉強もまともにしていなかったはず。裁判なんて出来そうもない。
お初も遊女の身の上、恵まれていたとは言い難く、カネにあかせた嫌な客も多いでしょう。だから徳兵衛をダメな男とみるよりは純粋な男とみたのかもしれない。弱者の同士愛を感じていたではないでしょうか。
カネに縛られる世知辛い世の中で生きるのが下手な者同士に通じ合うものがあったのでしょう。そんな世間で戦い続けて生き残るのに耐えきれなくなっていたのでしょう。
時代を超えて、庶民の古典になるわけですね。