皇室の祖神は天照大神ではなかった──古事記・日本書紀から最初の皇祖神・高御産巣日神の正体を考察
新年を迎え、1年の幸福を願い、初詣で神社を参拝された方も多いのではないでしょうか。
神社に祀られている神々は多種多様ですが、日本神話に登場する神々の中で、最もよく知られた存在といえば、天照大神(あまてらすおおみかみ)を思い浮かべる方が多いでしょう。
天照大神は、天皇家の祖神(皇祖神)として伊勢神宮に祀られてきた神ですが、実は天照大神が皇祖神として確立される以前、より早い段階で「皇室の先祖神」と位置づけられていた神さまが存在していました。
その神の名は、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)といいます。
なぜ高御産巣日神ではなく天照大神が、皇室の先祖神として確立されていったのか?
本稿では、誰もが皇室の祖神と認識する天照大神と、あまり知られることのないもう一柱の皇祖神・高御産巣日神に光を当て、比較・考察し、その歴史的・神話的背景を、読み解きます。
比較・考察の内容
・『古事記』『日本書紀』から高御産巣日神と天照大神を比較
・両神は神話の中で、どのような関係性にあったのか考察
・天照大神が皇祖神として確立していく流れを解説
本来の司令神と目されていた高御産巣日神
日本神話の原点とも目される『古事記』『日本書紀』には、数多くの神々が描かれていますが、その中でも皇室の祖神、そして至高神(神々の頂点に立つ神格)とされる存在が天照大神です。まずは『記紀』の神話をもとに、天照大神と皇室との結び付きについて見ていきましょう。
日本神話では、地上世界が平定されると、高天原(たかまがはら)を治める天照大神が、孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に宝鏡を授け、「地上に降り、子々孫々に至るまで国を治めよ」との神勅を下します。
これを受け、邇邇芸命は八柱の神々を伴い、九州の高千穂峰に降り立ちました。これが、いわゆる「天孫降臨神話」です。
そして、この邇邇芸命の子孫が初代天皇・神武天皇であることから、天照大神は皇室の皇祖神として崇められ、伊勢神宮に祀られるようになりました。
ちなみに神武天皇は、『記紀』によれば天照大神の五世孫であり、同時に高御産巣日神の五世の外孫でもあると記されています。すなわち『記紀』は、神武天皇が天照大神と高御産巣日神の両神を祖神とする存在であることを示しているのです。
では、天照大神と高御産巣日神とは、どのような関係にあったのでしょうか。
一般に、邇邇芸命に地上世界への降臨を命じた「司令神」は天照大神であると理解されています。しかし、この点については『古事記』と『日本書紀』とで記述が異なっています。
『古事記』では、天照大神と高御産巣日神の二神が共同して命じたとされているのに対し、『日本書紀』では高御産巣日神が単独でこれを行ったと記されています。つまり『日本書紀』の記述に従えば、地上世界を治める命を下した司令神は、高御産巣日神であったということになります。
さらに、天孫降臨に関するその他の伝承を見ても、天照大神が単独で司令神として登場する例は、わずか一例にすぎません。このことから、『記紀』成立以前の段階では、高御産巣日神を司令神と位置付ける伝承の方が主流であった可能性がうかがえます。
すなわち、高御産巣日神と天照大神を比較した場合、本来的には高御産巣日神の方が、より至高神として認識されていたと考えられるのです。


