皇室の祖神は天照大神ではなかった──古事記・日本書紀から最初の皇祖神・高御産巣日神の正体を考察:2ページ目
天照大神と高御産巣日神は婚姻関係で結ばれていた
前項では、天照大神よりも高御産巣日神のほうが、より至高神的な存在として認識されていた可能性について述べました。では、両神は神話の中で、どのような関係にあったのでしょうか。
天照大神は、伊邪那岐命(いざなきのみこと)が禊(みそぎ)を行った際に誕生した「三貴子」(須佐之男命・月読命と並ぶ一柱)です。一方の高御産巣日神は、天地が分かれ始めた混沌の神代に出現したとされる「別天つ神(ことあまつかみ)」の一柱であり、きわめて原初的かつ特別な存在とされています。
すなわち、高御産巣日神は天上界である高天原に最初に現れた「造化三神」の一柱であり、邇邇芸命の母である万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)の祖父にあたる神とされています。神々の系譜上から見ても、高御産巣日神は天照大神よりも先に誕生した神であることが分かります。
このように、天照大神は国生み神話に連なる伊邪那岐命の系譜から生まれた三貴子であるのに対し、高御産巣日神は造化の段階に属する別天つ神という、異なる神系に属していました。しかし、その子孫神同士の婚姻によって邇邇芸命が誕生し、両神系は姻戚関係によって結ばれることになったのです。
天照大神は奈良時代に皇祖神として確立された
天照大神が天皇家の皇祖神として伊勢神宮に祀られていることは、多くの人が知るところでしょう。現在、有力視されている伊勢神宮の成立時期は、7世紀後半の天武天皇の時代とされ、この頃に現在につながる形へと整備され、祭神として天照大神が祀られたとする説が一般的です。
このことから、天皇家が天照大神を皇祖神として位置づけたのは、飛鳥時代後期であったと推測されます。この時代は、藤原京に宮都が置かれ、大化の改新を集大成とする中央集権体制が急速に推し進められた時期でもありました。
しかしここで、「飛鳥時代後期=天照大神を皇祖神」とする理解を揺るがしかねない、注目すべき点を挙げておきたいと思います。それは、宮廷祭祀と深い関わりをもつ神々を扱った『延喜式』の祝詞に、天照大神の名がほとんど登場しないという事実です。
仮に同神の名が挙げられる場合でも、多くの神々の後に付記される程度にとどまっています。この点から、伊勢神宮創建当初の主祭神は、必ずしも天照大神ではなかった可能性が浮かび上がってきます。
では、伊勢神宮の主祭神は誰であったのか。それが高御産巣日神であったと考えられるのです。そして、天照大神が皇祖神として前面に押し出されるのは、奈良時代に入ってからのことでした。
奈良時代になると、律令国家が成立し、神社制度も体系的に整備されていきます。その過程で、天照大神は高御産巣日神に代わって皇祖神として位置づけられ、伊勢神宮内宮の主祭神となったと考えられます。
すなわち、奈良時代に編纂された『記紀』の神話において、初代・神武天皇と同様に、天孫降臨の舞台とされる九州と縁の深い天照大神を、天皇家の始祖神として前面に据えたのです。

