大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長 唯一の嫡男。歴史から消えた幻の息子・羽柴与一郎の謎多き生涯
天下人・豊臣秀吉の弟として生まれ、兄の天下獲りを支えた豊臣秀長。令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では主人公を務めます。
そんな秀長は兄の秀吉と同じく、あまり子宝に恵まれませんでした。
ただ一人生まれた嫡男・羽柴与一郎(はしば よいちろう)に先立たれ、その血統は絶たれてしまったのです。
今回はそんな羽柴与一郎(木下与一郎)を紹介。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
謎の多い生涯
羽柴与一郎(以下、与一郎)は生年不詳、秀長と正室・慈雲院殿(じうんいんでん)の間に生まれたと考えられています。
諱(いみな。実名)も不詳。与一郎という通称(※実名を避けるため、成人男性に用いる)があることから、少なくとも死亡時点で元服していたと考えられるでしょう。
与一郎は天正10年(1582年)ごろに亡くなったとされており、その時点で元服していたとすれば概ね13〜15歳以上。逆算すると元亀元年(1570年)以前に誕生したと考えられます。
詳しい事績はほとんど残っていませんが、江戸時代成立の『森家先代実録』によれば、那古野因幡守女(なごや いなばのかみ娘)・岩(いわ。のち智勝院殿)と結婚しました。
二人の間に子供はなく、岩は与一郎の死後に秀長の養女として、文禄3年(1594年)に森忠政(もり ただまさ)と再婚します。
与一郎の死因について、先掲の『森家先代実録』では紀州の十津川温泉で病死したとされました。
しかしこれは秀長の養子である羽柴秀保(ひでやす)と同じであり、混同されたのかも知れません。
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