【べらぼう】寛政の改革で絶版処分に!唐来参和(山口森広)作『天下一面鏡梅鉢』とはどんな作品だった?
田沼政権と入れ替わりに始まった「ふんどし野郎」こと松平定信(井上祐貴)の政治改革。
後に「寛政の改革」と呼ばれ、徳川幕府を半世紀ばかり延命したとも言われています。
その一方で、厳しい思想統制や出版規制を行い、実に息苦しい世の中になってしまいました。
今回はそんな世の中に一石を投じた『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめん かがみうめばち)』を紹介。果たして唐来参和(山口森広)は、どんな物語を書いたのでしょうか。
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『天下一面鏡梅鉢』あらすじ
時は醍醐天皇(だいご。第60代)の御代。まだ若き帝を扶翼し奉るは菅原道真(すがわらの みちざね)、理想的な政治を実現し、その徳は他国にまで知れ渡るほどでした。
まことに結構な世の中で、どのくらい結構かと申しますと……。
一、佐渡の金山が噴火して、日本じゅうに金銀が三日三晩も降り注ぎました。
一、金銀を蓄えた人々の暮らしは豊かになり、みんな大歓喜のあまり、定めた以上の年貢を進んで納めるようになります。
一、ネズミや盗人がいなくなり、誰も戸締まりをしなくなりました。むしろ戸なんか邪魔だと取っぱらいました。
一、あまりにも世の中が豊かになり、道端の乞食さえも錦を着たり、蒔絵の漆器で食事をしたり。
一、周の武王(古代中国大陸の名君)にならい、人々は新宿や品川で牛や馬を放し飼いにしました。
一、人々は譲り合いの精神を身につけ、往来で道を譲り合います。しかし譲り合いが過ぎて、渋滞が起こることもしばしば。
一、武芸を好んだ道真公にならい、相撲興行よりも剣術興行が流行り始めました。
一、吉原遊郭でも武芸が流行り、客は身構え、遊女は抜いた簪(かんざし)を手裏剣代わりに投げつけます。
一、合わせて学問ブームが起こり、遊女たちは『論語』や四書五経を嗜むのが粋とされました。
一、芝居では心中物や世話物(トレンディドラマ)なんて低俗な演目は廃れ、代わりに孔子が儒学の問答を繰り広げます。
一、あまりにも治安がよすぎて何も起こらず、道端に金銀が捨てられても、誰も拾いません。
一、みんなが規則正しく生活するので、雨も10日ごとに降ると決められました。下駄屋と傘屋がちょっと困りますね。
一、めでたい世の中に出現する麒麟が見世物となり、大評判で黒山の人だかりができました。
一、人々は何の苦労もなくなったので、150歳くらいまで寿命が延びます。みんなストレスフリーで健康だから、医者はみんな廃業したかも知れません。だけど暮らしに困らないからいいんです。
一、あまりのめでたさに麒麟についで鳳凰までやって来て、鳳凰茶屋が大繁盛。
一、とまぁ何から何までめでたい尽くしの日本国は、朝鮮や琉球はじめ、世界中から観光客が押し寄せる憧れの理想郷となりましたとさ。
一、こんな素晴らしい世の中を実現した道真公は天神様(大自在天満天神)と崇められます。
一、諌鼓鳥(かんこどり。閑古鳥)は鳴くこともなく大賑わい、そんなめでたい酉年の正月に、この本を出版するのでした。
……めでたしめでたし。



