江戸時代のぼったくり駕籠「重た増し」とは?拒否をすれば袋叩き、女性は人身売買の危険も
江戸時代も半ばを過ぎると、庶民でも駕籠に乗ることが許されるようになりました。
そこで駕籠屋が生まれ、人々の足として利用されたのですが、当時は必ずしも安全な乗り物ではなかったようです。
中には客から「重た増し(おもたまし)」として酒手をせびる雲助(くもすけ。駕籠人夫)もいました。
この「重た増し」とは、一体何でしょうか。
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とある駕籠道中にて
客「……おい、何でこんな山の中で止まっちまうんだ。先を急いでくれよ」
雲助A「……お客さん、アンタちょいと重すぎるんだよ」
客「え?」
雲助B「そうだな、この重さで通常料金ってぇのは割に合わねぇ」
雲助A「だから『重た増し』を払って貰うよ」
客「何だって?私はべつに肥ってないぞ!」
雲助B「嫌だってんなら、仕方ねぇ。アンタをここに下ろすまでよ」
※「重た増し」の要求は、たいてい目的地への道中で行われました。
雲助A「もちろん奉行所にも訴え出るぜ。薩摩守(平忠度=タダ乗り)なんて許さねぇよ」
……てな具合で、こうなると大抵の客は諦めて「重た増し」を払うことになります。
雲助たちが狙うのは、主に懐の重そう(カネがありそう)な客や、弱そう(いざとなれば二人がかりで勝てそう)な客でした。
「重た増し」の相場は?
かくして泣き寝入りした客は、どのくらいの「重た増し」を支払ったのでしょうか。
別に決まりなどないのでいくらでも取れるのですが、大抵は酒手(さかで。酒を買う資金)程度の金額とされました。
酒の相場は時代や品種によって異なるため、実際にはケースバイケースとなります。
雲助たちの隠語で濁り酒は「白馬(白いの)」、清酒は「赤馬(赤いの)」等と呼ばれ、雲助らがどちらをどのくらい飲みたいかによっても金額が変わったことでしょう。
2ページ目 「重た増し」を拒否すると?
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