あの徳川埋蔵金にも関与!?明治政府に危険視され消された「小栗忠順」という天才
TBSが総額3億5千万以上投入して捜索したにもかかわらず、見つかることのなかった幻のお宝「徳川埋蔵金」。名前くらいは知っているという方も多いのではないでしょうか。
この記事では、そんな「徳川埋蔵金」を隠し、明治政府に消されたとされている男「小栗忠順(おぐりただまさ)」について紹介したいと思います。
徳川埋蔵金とは
1867年、大政奉還によって260年以上続いた江戸幕府がついに終わりを迎えます。世は、新時代の幕開けにお祭り状態。
そんな大政奉還の裏で財政難に喘いでいた明治政府は、幕府御用金を血眼で探していました。幕府御用金とは、江戸時代に幕府が財政上の不足を補うため、町人や農民に納めるよう命じた金銀のことです。
しかし、江戸城内のどこを探しても幕府御用金は見つからず、金蔵も空っぽ。そこで、明治政府は「幕府側の人間が幕府再興を目論み、軍資金をどこかに埋蔵したのではないか」と、捜査を開始します。
勘定奉行
明治政府は、まず江戸幕府の財政を管理・監視いていた勘定奉行に目をつけ、徳川埋蔵金の行方を捜査することに。その捜査の手は、幕府内で最も優秀と言われていた勘定奉行「小栗忠順」のもとまで及びます。
もとより、小栗が幕府の財政責任者であったこともあり、「小栗が幕府の金を持って逃げたのではないか」という噂も飛び交っていました。そのため不幸にも、幕府御用金隠しの容疑者となってしまった「小栗忠順」、一体どんな人物だったのでしょうか。
小栗忠順
勘定奉行として最も優秀だといわれた小栗忠順ですが、幼い頃は頭が悪く、周囲から敬遠されていました。成長するにつれ、才能を発揮しだしたそうです。
小栗はのちに、西洋式火薬工場や横須賀製鉄所の建設、そのほか兵庫商社を設立。現代社会では当たり前になっている社内教育、雇用規則、残業手当、簿記、人事労務管理などを取り入れ、近代化への礎を作りました。
こういった活躍から幕府の財政責任者に任命され、勘定奉行となったのです。