戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【後編】
イエズス会の「巡察使」であった「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」と共に来日した黒人従者「弥助(やすけ)」は信長に気にいられ、そのまま家臣として仕えることになった。
今回は、【前編】に引き続き弥助という人物を考察する。
前回の記事
戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【前編】
戦国三英傑の一人「織田信長」。信長が異国の品や目新しいもの好きであったことは良く知られている。その中でも特異な存在として記録に残っているのが黒人の家臣「弥助(やすけ)」だ。今回は【前編】【後編…
信長の家臣時代
信長の家臣となった弥助は「小姓」となって近江の安土城へ入り、信長の側で仕えたといわれる。来日してから一定期間が経過していた弥助は日本語が話せたようで、信長にとって良い用心棒であったのかもしれない。
武士の身分を与えられた弥助は信長に付き従い生活を共にした。そして1582年、「本能寺の変」が起こり信長が横死した際にも現場にいたとされている。
日本に来日していたイエズス会員が残した「イエズス会日本年報」には、弥助が信長の長男・信忠を守るために戦い最終的には投降したという記録が残っている。
当時、信忠は本能寺から少し離れた妙覚寺に滞在していた。信長の小姓であった弥助が信忠の元へ向かった真意は不明だが、何らかの指令を受けていたことが推察できる。
弥助を捕らえた明智光秀は、黒人であることを理由に弥助をイエズス会に引き渡したという。
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