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大正時代まで遡る国産マカロニ誕生秘話 〜マカロニ生産にかけた親子3代にわたる熱い想い

大正時代まで遡る国産マカロニ誕生秘話 〜マカロニ生産にかけた親子3代にわたる熱い想い

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2020/11/24

マカロニといえば今やグラタンやサラダにも使用されるイタリア料理の定番中の定番。もともとはイタリアでパスタの一種として生まれ、日本では既に明治時代は輸入されていたようです。

そのマカロニが初めて日本でつくられるようになったのは大正時代のこと。そこには国産マカロニの生産にかけた、親子3代にわたる熱い想いが込められているのです。

日本で初めてマカロニの量産に成功し、普及に尽力した人物として石附吉治(1864〜1919)があげられます。吉次は製麺業を営み、干うどんや素麺などを作っていましたが、特に彼が作る麺に卵を練り込んだ「鶏卵うどん」はシカゴで開催された万国博覧会などで優秀賞を受けるなどの人気ぶりでした。

マカロニ生産のきっかけ

そんな吉次がマカロニの生産をしようと思ったきっかけは、1908(明治41)年頃のこと。当時の横浜の輸入商が、既に名前が知られていた吉治に実物のパスタをみせて「こういうものをつくれないかどうか」と打診したことがきっかけだと伝えられています。

海外から直輸入されていたマカロニは当時、「マカロニ―」「穴開き饂飩」ともいわれ、外国人が好んで食べるものとされていましたが、その製造方法や食べ方について日本人は全く分からなかったといいます。吉治は研究に研究を重ね、血の滲む苦労を重ねました。

昭和初期に書かれた新聞記事によると、最初は製麺機を造るところからはじめたそうです。ところが、何度造ってもうまくいかない。全財産を投げうって、借金の果てに造り上げた十何代目かのものがようやく穴の開いたマカロニらしいものを拵えてくれました。

「機械は先ずこれで宜しい」となりましたが、ところが今度は乾燥法に悩まされることになります。「うまくできた」と思っていても、製品にひびが入る。釜にいれればどろどろになるで、その乾燥法を確立するまでさらに5年の歳月を費やしたそうです。

2ページ目 不景気で工場の経営が困難に

 

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