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菊見、菊酒、菊人形…。江戸時代、秋の花と言えば江戸っ子好みの華やかな「菊」

菊見、菊酒、菊人形…。江戸時代、秋の花と言えば江戸っ子好みの華やかな「菊」

江戸の秋を彩った花

江戸時代、秋の花と言えば菊でした。大川(隅田川)沿いの向島の新梅屋敷(現・向島百花園)の萩ももちろん風流で可愛らしいけれど、江戸っ子好みの華やかなのはやっぱり菊。

9月9日の重陽の節句には、菊酒を楽しみました。部屋や庭に綺麗に飾った菊を愛でながら、洒落たうつわに黄色の花びらを浮かべて一献、いただきます。乙です。香りを味わうのも目に映るのも菊なので、まさに「菊の節句」と呼ばれるにふさわしい行事でした。といっても、江戸っ子の熊さん八つぁんにしてみれば、花見で一杯、月見で一杯、雪見で一杯といった具合で年がら年中呑みたいだけで、菊見もきっと、その口実の一つだったのでしょうけれど。

菊人形と百種接分菊

菊酒の他にも江戸っ子を夢中にさせた「菊」がありました。菊人形に、百種接分菊です。

団子坂と推定される菊人形の写真

菊人形というのは、人の等身大の人形に菊の花の衣装を着せた粋な見世物。巣鴨・染井、本郷あたりのとある植木屋さんが一つ始めたら、みんな競い始めて、あっちが忠臣蔵ならやれこっちは助六だ芸者だ、と夢中で作って気づいてみたらみんなまとめて一つの大きなイベントになっていた、というところでしょう。

百種接分菊も、経緯は似たようなもの。マゲのはけ先バサバサに散らした、頑固な江戸の植木職人のおっちゃんたちが、見栄半分意地半分になって、これでもかと凝りに凝って菊を接ぎ木しまくった結果、たった一株から百種以上の菊の花が咲くというモノスゴイ作品が出来上がったというわけです。

人気浮世絵師の歌川国芳も百種接分菊を見に行ったようで、その様子を浮世絵に詳細に描いています。また、「千輪咲き菊」と書かれた明治期の引き札(チラシ)も残っており、当時、相当話題になったということでしょう。ホラ、ミーハーな江戸っ子たちが連れ立ってぞろぞろ見物、大賑わいです。

一勇斎国芳「百種接分菊」国会図書館蔵

2ページ目 重陽(ちょうよう)の節句の由来は、中国に伝わる古い説話に関係

 

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