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「天皇の輿丁」が数百年にわたり受け継ぐ祭。京都・八瀬の赦免地踊り

「天皇の輿丁」が数百年にわたり受け継ぐ祭。京都・八瀬の赦免地踊り

八瀬童子

知らずに見ると「座敷童子」をイメージしそうですが、この名称は子供を指すものではありません。京都・洛北の八瀬に、代々住む人たちのことをいいます。

いろいろあって都知事ではなくなった作家・猪瀬直樹氏のデビュー作『天皇の影法師』で、八瀬童子の存在を知った方は多いでしょう。足利尊氏に追われた後醍醐天皇へ供奉した功績により、天皇の柩を担ぐ栄誉を賜った「天皇の輿丁」。それが、同作で紹介された八瀬童子の姿でした。

『天皇の影法師』が発表された数年後に訪れた、昭和天皇の崩御。その際にも、八瀬童子は大喪の礼に参加しています。警備の都合上、輿丁は皇宮護衛官が務めましたが、八瀬童子は参列奉仕と霊柩奉仕で参加。霊柩奉仕が出来るのは、宮内庁侍従職と八瀬童子のみといいます。数百年の歴史は、今も生きているのです。

そんな八瀬では毎年10月、体育の日の前日に「赦免地踊り」なる祭が行われます。

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租税や諸役を赦免する「綸旨」を後醍醐天皇より賜った八瀬童子。その特権は、江戸中期に比叡山延暦寺との間で争論が起こった際、裁決において明確に認められました。「赦免地踊り」は、その裁決に貢献した秋元但馬守への感謝を後世へ伝えるための踊りです。

「赦免地踊り」が行われるのは、秋元但馬守を祀る秋元神社。御詠歌のような「道歌」が歌われるなか、その参道を8基の切子燈籠が進む様は、この祭の一番の見所でしょう。室町期の風流を伝えるとも言われる、細微な透かし彫りが描かれた灯籠。そして、その灯籠が闇の中に浮かび上がらせる、ゆらゆら揺れる淡い光。

その様を目にした人の多くが、やはり八瀬で数百年の歴史が今も生きていることを、強く感じるのです。

八瀬 赦免地踊り – 公式

八瀬童子 – Wikipedia

 

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