来年2019年のNHKの正月時代劇で放送される「家康、江戸を建てる」。直木賞作家の門井慶喜氏が原作の超話題作です。
関が原の合戦より10年ほど前の1590年、三河を中心に勢力を拡大していた徳川家康は、豊臣秀吉の命で江戸を中心とする関八州を新たな領地とする事に。しかし実際に赴いてみると「江戸」は飲み水を確保するにも苦労するような海辺の泥湿地でした・・・・・・。
ここからいかにして家康は八百八町・華の大江戸の基礎を造り上げたのか。今回はドラマを見るのに役立つ「江戸の上水」の知識をわかりやすく解説します。
「神田上水」を開設したのは誰か
神田上水を開設したのは誰か。この論争には2説あります。1説には家康の菓子司(かしつかさ/幕府専属パティシエ)・大久保藤五郎が作ったという説。もう1説は百姓の内田六次郎が作ったという説。「菓子司!?」「百姓!?」どちらも上水の開設には結び付きづらい印象ですが・・・・・・。1人1人、伝説の概要を簡単に見ていきましょう。