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持つべきは心を許せる同志。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その4

持つべきは心を許せる同志。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その4:2ページ目

1336年の1月、後醍醐天皇は比叡山へと退却し、京都に入った尊氏を迎撃したのは正成の策略でした。正攻法なら敵なしの尊氏でしたが、ゲリラを得意とした正成の攻撃に手を焼き、同月の30日には京から逃げる羽目になります。

持つべきは心を許せる同志。多くの武士に救われた尊氏は九死に一生を得る

日本に限らず歴史上では朝廷・政府によって賊軍と断罪されたら、その勢力はおしまいと言うのがセオリーですが、尊氏はそうなりませんでした。何故ならば、将兵達は命懸けの奮闘に対する恩賞を出し惜しみする朝廷では無く、武士のための政治を志す足利を選んだからです。

中でも倒幕の英雄でありながら冷遇され、主君だった護良親王の騒動に連座させられていた播磨(兵庫県)の豪族・赤松円心(えんしん)を始めとした畿内の有力者が官軍を見限って足利に投降し、それによって敗軍はかえって味方を増やしたのです。尊氏に心服した円心は九州に落ち延びるよう進言し、尊氏もまた心を許した円心の言葉に従って、再起を図るべく九州に向かいました。

度重なる失政によって臣民からの信頼を失い続け、迷走を続ける建武政権と、苦しむ者達の期待を一身に受けて動き出した尊氏の武士政権―次項では、両勢力の激闘について紹介していきたいと思います。

画像:Wikipedia『箱根・竹ノ下の戦い』『北畠顕家』『赤松則村』より

 

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