明治時代に活躍した浮世絵師といえば、現在もなお人気の高い月岡芳年(つきおかよしとし)や河鍋暁斎(かわなべきょうさい)を思い浮かべる人が多いでしょう。彼らはときに「最後の浮世絵師」とも言われることがありますが、今回紹介する小林清親(こばやしきよちか)もまた、そのように呼ばれることもある浮世絵師で、明治時代の浮世絵には欠かせない人物です。
以前Japaaanでも紹介したことのある小林清親は、弘化4年(1847年)生まれの絵師で、光と影を効果的に用いた「光線画」という技法を使った作品を多く残しています。海外文化が流れ込んできた明治時代の環境もあり、西洋画の手法を取り入れた作風も特徴の一つ。
そして、小林清親の作品に特に大きな影響を与えていたのが、江戸時代の風景画番長・歌川広重(うたがわひろしげ)です。清親の代表作である「東京名所図」や「武蔵百景(又は 武蔵百景ノ内)」という続きもの作品は、題名からして歌川広重の影響をモロに受けていますね。広重に対してのオマージュともいえる作品を多く残した清親は「明治の広重」と言われることもしばしば。
今回はそんな清親の作品から、広重が活躍した江戸時代後期の風景画に回帰する「武蔵百景」を紹介します。「武蔵百景」は明治17年〜18年の間に制作された、全34図からなる続きもの作品(”百景”にもかかわらず34図なのは、途中で打ち切りになったのでしょうか?)。題名からもわかるように広重の代表作「名所江戸百景」のオマージュ作品です。
34図のうち少なくとも22図が「名所江戸百景」と同じ場所を取材しているというから徹底していますね。作風にも、歌川広重の作品を想起させる部分が多く見られます。
例えば「武蔵百景ノ内 道灌山」は、歌川広重の「名所江戸百景 四ッ谷内藤新宿」を彷彿とさせますね。
そして「武蔵百景ノ内 亀戸天満宮」はもう「名所江戸百景 亀戸天神境内」そのもの。
このように、前面にオブジェクトを大胆に拡大して描くことで、後景との遠近感を表現しています。これは広重の名所江戸百景を特徴づけている手法でもあります。名所江戸百景をそばに置いて武蔵百景を眺め、ときに見比べてみたりするとなかなか面白いのでオススメです。
武蔵百景の前面に描かれている人物の多くが後ろ姿で描かれているのもまたユニークですので、そのあたりも注目して楽しんでみるください。それでは、小林清親「武蔵百景」をどうぞ。