嫉妬・束縛・幽閉…。戦国一のヤンデレ夫、細川忠興の愛が重すぎて重すぎて。:2ページ目
玉子を丹後の山奥に2年間幽閉
明智光秀の謀反により「逆臣の娘」となった玉子。当然その立場は危ういものとなり、玉子を持て余した細川家としても「忠興と離縁させては」という声があがります。
そこで忠興は、表向きは玉子と離縁したように見せつつ、玉子を丹後国の味土野という山深い地に隔離・幽閉します。その期間、なんとおよそ2年。この幽閉が、玉子を手放すまいとする執着からなのか、逆臣の娘として危険が迫る玉子を純粋に守ろうとしたものなのか、忠興の正確な意図はわかりません。
しかし、幽閉生活は当然ながら玉子にとって大きなストレスだったようで、次第に夫婦仲に亀裂が生じます。夫の束縛に疲れ果てた玉子は、「夫と別れたい」とこぼすようになりました。
鬼と蛇と罪なき庭師
これは忠興と玉子の歪んだ関係を物語る、特に有名な逸話です。
ある日、庭の手入れをしていた庭師が、ふと居室にいる玉子の姿を目に留めました。庭師は礼儀として玉子に会釈しますが、その現場を忠興が目撃。「よくも玉子を見たな」と激怒した忠興は、なんとその場で庭師を斬り殺してしまいました。
さらに忠興は、刀についた庭師の血を玉子の小袖で拭います。しかし玉子は怯えるどころか、眉ひとつ動かしません。そんな妻を、忠興は罵ります。
「おまえは蛇のような女だ」
すると玉子はこう応えました。
「鬼の女房には蛇がお似合いでしょう」
細川家史『綿考輯録』に残る逸話ですが、なんともはや、恐ろしい夫婦ですね。