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6月16日は「和菓子の日」、江戸時代には徳川将軍から手渡しでお菓子がもらえた!?

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江戸幕府が嘉祥を大事にした理由

なぜ幕府がそこまでこの行事を重視したのかというと、話は江戸幕府開闢前の元亀3年 (1572) までさかのぼります。

天下の織田信長の同盟者に過ぎなかった家康に、出世チャンスが到来。上洛のため近づいてきた武田軍3万人に対し、三方ケ原 (浜松市の西方)で迎え撃つ家康軍は1万5千人足らず。自軍の倍以上の敵に挑むこととなりました。戦の目前、家康は道端で嘉定十六年製の「十六」が刻まれた宋銭、嘉定通宝を拾います。

「嘉定通宝」→「嘉通」→「かつう」→「勝つ!」

縁起をかついで、家臣の大久保藤五郎(のちに江戸幕府御用達の和菓子屋)は、手製の菓子を6種献上して、家康を奮い立たせました。結果、この戦には大敗してしまいますが、家康の勇敢さや忠誠心が賞賛され、その後の評価につながる合戦となりました。

嘉定通宝の「嘉定」が、昔からの行事「嘉祥」に通じるということで、江戸幕府開闢後もこの行事は重んじられたのです。

庶民の嘉祥は、どんなふうにしてた?

ちなみに庶民の嘉祥は、16文で買った16個の菓子や餅を神棚に祀った後、無言・無表情を保ったまま家族で16個完食するというシュールな行事だったそうです。私たちも、16日は無表情で和菓子を食べてみたら、なにか良いことが起こるかもしれません。

 

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