酒饅頭に茶饅頭…江戸時代の砂糖の値下がりと日本のおまんじゅう文化発展の関係:2ページ目
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弥次喜多道中にも欠かせない饅頭
江戸時代を代表する庶民文学の代表格でもある『東海道中膝栗毛』には、日永の追分(今の三重県四日市市)で、饅頭が登場するエピソードがあります。
『名物の饅頭のぬくといのをあがりやあせ』
要約すると名物である出来立て饅頭はいかがですか、と勧めている売り子の女性がいる『鍵屋』と言う店の描写です。
これは、膝栗毛が成立した時期である享和2年(1802年)から文化11年(1814年)には甘い饅頭を通行人に供することが普通に行われており、饅頭が庶民の食べ物として普及し、愛好されていたことを意味します。なお、弥次さんと喜多さんはお金をかけて金毘羅参りの巡礼さん(実は手品師)と大食い対決をして幻惑され、負けて賭け金を取られてしまうオチがつきます。
その後、265年に及ぶ江戸時代が終わり、明治維新で新時代が到来したことで、様々な食文化が導入されますが、饅頭は人気が衰えるどころか、時代と共に発展し続けている食品です。洋菓子や本場中国の点心と合作された創作菓子は、新たなる地方銘菓としての地位を確立しています。
余談ですが、落語『まんじゅう怖い』のモデルになったお話は林浄因が生まれた中国南部を中心に栄えた明でまとめられた笑話集『笑府』だと言われています。その点も、菓祖神である浄因の導きに思えてしまうのは、筆者だけでしょうか。
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