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『豊臣兄弟!』妹を強制離縁、実母すら人質に…秀吉はなぜそこまで“非情”になって家康に執着したのか

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徳川方にとって、上洛は簡単に応じられるものではありませんでした。家康が秀吉のもとへ出向けば、その身に危険が及ぶのではないかという懸念があったからです。

1586年(天正14年)9月、岡崎城では家康の上洛をめぐる評定が行われ、酒井忠次(天野ひろゆき)ら重臣たちは、秀吉の真意を測りかねるとして、上洛に強く反対したといわれます。

次回の第41回「家康の野望」では、豊臣兄弟が母・なかを岡崎へ送り出す場面が描かれることになるでしょう。

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史実に目を向けると、あさひの輿入れ後、なかが大和郡山城で倒れたという話も伝わっています。これがどのような病状だったのかは分かりませんが、幸いにも短期間で回復したようです。

ただ、娘を遠く離れた地へ嫁がせた母として、あさひの身を案じていたことは想像に難くありません。そこで人質と知りながら、あさひに会いたい一心で岡崎行きを自ら希望した可能性も考えられます。

同年10月、大政所はあさひの見舞いを名目に岡崎へ向かいました。秀吉は妹に続いて母まで送り出すことで、家康の上洛に向けた交渉を大きく前進させたのです。

では、このとき秀吉には、家康を殺害する意図があったのでしょうか。

仮に秀吉が家康に危害を加えれば、岡崎にいる大政所と、家康の正室となったあさひの身にも危険が及びかねません。

そう考えると、少なくとも家康を殺害することを目的として上洛を求めていたとは考えにくいでしょう。

この一連の動きから浮かび上がるのは、豊臣方が家康の臣従を実現するため、婚姻や人質という手段まで用いなければならなかったという事実です。

それほどまでに、家康をはじめ徳川家中は、秀吉を信用していなかったのでしょう。

次回は、この点を踏まえながら、家康の上洛と秀吉への臣従について、史実とドラマの描写を照らし合わせて考察を行います。どうぞ、ご期待ください。

 

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