【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆…:3ページ目
家康との結婚後
かくして夫と離縁して家康と政略結婚したあさひですが、彼女がその後どうなったのかが気になるところです。
当時家康は45歳、あさひは44歳で年齢的には釣り合っていると言えるでしょう。しかし既に子供を生むのは難しく、そもそも前夫との間にも子供はいませんでした。
駿府(静岡県静岡市)に住んだことから駿河御前と呼ばれるようになったあさひは、どんな思いで敵中に身を置いていたのでしょうか。
しかしあさひが家康に嫁いでもまだ和睦が成立しなかったため、今度は母なかが「あさひの様子を見舞う」名目で人質となり、これでようやく羽柴・徳川の和睦が成立したのでした。
それからしばらく経つと、あさひは上洛して京都の聚楽第(じゅらくだい。秀吉邸宅)に移り住むようになります。家康としては最早人質としての価値がなく、また愛情もなかったのでしょう。
晩年は病気がちだったそうで、いつお迎えが来ても安心できるように臨済宗へ帰依していたと言います。
そして天正18年(1590年)1月14日に聚楽第で世を去りました。享年48歳、豊臣きょうだい(とも・秀吉・秀長・あさひ)の中でただ一人、母親より先に亡くなっています。
終わりに
今回はあさひの離縁と、家康との政略結婚について紹介してきました。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、この場面をどのように描くのでしょうか。まだ吉成との夫婦関係が維持されているようなので、吉成がどのようにフェイドアウトしていくのかが気になるところです。
天下一統の野望を果たすため、大切なものを次々と喪っていく豊臣兄弟の悲哀と衰運が描かれる最終盤を、心して見届けていきましょう!
『豊臣兄弟!』前回放送「茶々の本心」の考察記事もぜひ一緒にご覧ください。
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※参考文献:
- 黒田基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書、2025年7月
- 黒田基樹 編『戦国大名の新研究3 徳川家康とその時代』戒光祥出版、2023年4月
※トップ画像:『豊臣兄弟!』公式Instagramより



