【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆…:2ページ目
あさひが前夫と離縁した理由は?
あさひは天正14年(1586年)に家康と結婚することになりますが、従来の通説では「秀吉が権力ずくで夫と離縁させ、あさひを奪われた夫は自害または出家した」と考えられてきました。
しかし近年の研究によると、どうやらそれ以前に離縁していた可能性が指摘されているそうです。
例えば副田吉成は秀吉から指杭城(多伊城。兵庫県新温泉城)を任されていましたが、天正10年(1582年)に本能寺の変が起こると、その混乱によって城を奪われてしまいました。
これが秀吉の不興を買い、あさひと離縁させられたことが江戸時代の歴史書『武家事紀』に記録されています。また江戸時代の随筆『塩尻』によると、秀吉が5万石の加増を条件にあさひと離縁するよう迫ったところ、吉成は妻を5万石で引き渡すことを恥じて出家・隠棲しました。
『武家事紀』と『塩尻』を総合すると「秀吉は城を奪われてしまった吉成に対して、体よくあさひと離縁させるために5万石の加増を提示。しかし吉成はこれを恥じて出家・隠棲して身を引く」という流れになりそうです。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、吉成の失態については言及されていないため、果たしてどんな展開が描かれるのでしょうか。
