【ブラッサム】最速離婚した夫の弟が「2度目の夫」に!史実での再会と同棲、モデル・宇野千代が辿った波乱の愛:2ページ目
最初の夫の弟と二度目の結婚
ドラマの公式「X」では木村保の役柄について
叔母・照子の次男であり、珠のいとこ。学業優秀でユニークな一面を持つ青年。泰然自若で、誠実な人柄もあいまって、不思議なオーラを放つ。
と紹介しています。
色街にはまっている兄にも、それを隠して縁談をまとめた両親にも、怒りを覚えていたのでしょう。
木村一家の中で、唯一誠実な人間そうな保。
保のモデルは、実際に宇野千代の実母・宇野トモの姉の息子で、千代とは母方の従兄妹・藤村忠と推測されています。
実際、宇野千代は、最初に兄・藤村亮一と結婚するも、わずか10日で終わっています。
その後、弟と二度目の結婚をしたのでした。
卒業後、弟と運命的な再会
史実では、明治44年(1911)11月、まだ14歳だった宇野千代はドラマと同様に、実母トモの姉・藤井カツの長男で3歳年上の藤井亮一と結婚しました。
現代と比べて昔は早婚だったとはいえ、14歳といえば中学2年生くらい。
実際、大正9年(1920)の国税調査では、平均初婚年齢は男子25歳、女性21.2歳だったようです。
千代14歳と亮一17歳の結婚は、かなり早かったのではないでしょうか。
宇野千代の自伝的小説『生きて行く私』では、縁談が来たときに父がすぐに承知した理由について、以下のように書いてます。
このことはのちになって、私たちの間で話合わされたことであるが、父は自分の余命幾何もないことを悟って、自分の生きている間に、私の嫁入りさきを決めておきたかったのではないか、ということであった。(『生きて行く私』)
毎晩に出掛けてしまう17歳の夫とは仲良くなることもなく、婚家の雰囲気にもなじめず、10日で実家に戻ったのでした。
この後、宇野千代は、大正3年(1914)に岩国高等女学校卒業後、川下村小学校代用教員になりますが、同期の新任教師との職場恋愛が問題になり、翌年に同校を退職します。
学校時代の教師を頼り朝鮮の京城(現在のソウル)に渡り、大正5年(1916)には帰国。そして、前夫の弟・藤村忠(※)と再会しました。
2人の出会いは、千代が『おはん』にも登場する臥龍橋のたもとへ、弟妹を連れて出かけた際、岩国城下町の鉄砲小路に住む伯母と、京都の三高(現在の京都大学)に在学中だった忠が来ていたことからでした。(「おいでませ山口へ」作家・宇野千代とは?)
※自伝的エッセイ『生きていく私』では、「藤村悟」という名前で表記されています
