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『豊臣兄弟!』なぜ秀長(仲野太賀)は奈良の商人を大和郡山へ移した? 奈良筆・奈良墨から見る大和の経済力

『豊臣兄弟!』なぜ秀長(仲野太賀)は奈良の商人を大和郡山へ移した? 奈良筆・奈良墨から見る大和の経済力:2ページ目

もちろん、既得権益のうえで富を蓄えていた寺社や豪商の多くからは、この政策に抵抗する勢力も現れます。

秀長はそうした勢力に対して、奈良での商売禁止や座の特権の剥奪といった強い統制措置を取りました。

 

一方、秀長の政策に賛同して郡山に移ってきた商工業者には、地子の免除や営業の独占権の付与といった手厚い保護政策を行いました。

『豊臣兄弟!』第38回「和を以てて、大和をなす」で、秀長に協力した筆屋の主人・才蔵(間宮祥太朗)など、座の特権を得られなかった中小の商人にとっては、新興商業地である郡山へ移転することが、商売上の好機だったのです。

ただし、秀長が1585年(天正13年)以降に整備した「箱本十三町」には、「筆屋町」のような奈良筆の専門町はありませんでした。

筆屋の才蔵やそのエピソードは、秀長が奈良の商工業や特権を大和郡山へ移したという、ドラマの背景として捉えるべきでしょうね。

とはいえ、奈良筆は日本の筆作りの歴史を語るうえで重要な存在であり、奈良を代表する工芸品の一つでもあります。だからこそ、ドラマの軸を担う製品として取り上げられたのだと思います。

ここからは、江戸時代には全国有数の産地として名を馳せることになる奈良筆と、現在も国内有数の産地として知られる奈良墨について、その歴史をひも解いていきましょう。

3ページ目 日本の筆文化を支えた奈良筆、そのルーツは空海にあった?

 

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