【豊臣兄弟!】武器を“筆”に持ち替え戦に挑む!「プロジェクトX」ばり胸熱展開の第38話を史実と共に考察:2ページ目
「万事円満じゃ」な秀長の政策の実際
実際に行われた秀長の政策はどのようなものだったのでしょうか。
・奈良での商売禁止
「昨日ヨリ ナラ中ハ 一切ノ万ノ商賣被止之、於郡山可有賣買ト 云々」「ミソ・サケ・柴木・菜(草冠に釆)・ノリ・ユワウ以下 一切の物一種モ無賣買サテ…」『多聞院日記』
現代語にすると、「昨日より、奈良における商売は一切禁じる。必ず郡山で行うこと」「味噌・酒・柴木・菜・海苔など、すべてのものを郡山で行う」ことなどが記されています。
(下の写真、右から5行目「昨日より…」からの部分)
・商人・職人の誘致と特権(地子免除など)
郡山城下に同業者を集住させ、魚塩町・紺屋町・材木町など業種別の町(後の「箱本十三町)に、営業独占権(特許状)を与え、地租(地子・宅地税)を免除。
代わりに治安・防火・訴訟処理などを町ごとに請け負わせる自治的な仕組みを整え、堺・今井・奈良などから商人を呼び込み、短期間で城下町を発展させました。
・金の貸し付け
奈良町に対する「奈良借(ならかし)」が有名。
天正17年(1589)に約1万石相当を貸し付け、翌春に利子を金子で回収するなど高利の貸し付けを行いました。
利子徴収が主目的だった一方、「町への融資という側面もあり、郡山では経済振興策の一環だったのかもしれない」との見方も。ただし、奈良側では強制的・過酷な取り立てで苦しんだ記録もあり、純粋な「町おこしのための優遇融資」とは言い切れなかったとも伝わります。


