朝ドラ「風、薫る」赤痢の村で刃物を向けられても…りんのモデル・大関和が命を救った防疫の実話:2ページ目
デマを妄信し感染症専門医師を殺した事件
ドラマの中では、黒川病院の看病婦たちの表情もちょっと不安気のようです。
それは、「千葉の鴨川の医師殺人事件」のことでした。
コレラが大流行した明治10年(1877)。千葉県では300人を大幅に超える死亡者が発生。鴨川でコレラ患者が発生したため、医師・沼野玄昌は現地に出向き、死者の火葬や井戸の消毒などの防疫活動に励みました。
ところが住人たちの間では「あの医者は、井戸に毒を入れた」「患者の生肝を抜いて殺す」など、まったく根拠のないデマが拡大。
それを妄信した住人たちは、鎌や槍などで玄昌を襲って殺したのでした。
沼野玄昌は西洋医学を学び、伝染病対策に熱心に取り組んでいた医師だったそう。
住人たちは「“命を救う手”を持った医者」を自らの手で失ってしまったのでした。
大関和たちも、さぞ不安だったと思います。
ドラマの中では、りんは、感染を怖がる看病婦たちを懸命に励まして、感染対策を行うのでした。
ナイチンゲールが行った野戦病院改善の方法を行う
ドラマの中でもトレインドナースの一ノ瀬凛を司令塔に、窓を開けて換気、避病院の床や壁の掃除、徹底的な消毒、患者の着替えなどを行いました。
和たちが行ったこの防疫方法は、クリミア戦争の野戦病院でナイチンゲールが行った行動と同じでした。
同女が派遣されたトルコの陸軍病院も非常に粗悪な構造で、不衛生・換気なし・患者は衣類を着たきりほか、かなり劣悪な環境だったそうです。
ナイチンゲールは環境の改善や清潔に努め、必要な物資は自腹で購入し、患者の兵士たちの身体と心の両面からケアしたのでした。
結果、その感染症対策が行き渡り最大死亡率が42.7%だったものが数ヶ月で2.2%までに下げるという、奇跡のような偉業を成し遂げていたのでした。
参考:上越市「広報上越2026年5月号」、小田原市「明治のナイチンゲール」大関和をたどる
「感染の広がり=国難」と捉えた大関和
大関和の徹底的な感染対策により、入院後の患者の死亡数は激減。患者の衛生環境を整えることがいかに重要かを世間に知らしめることとなりました。
和は、のちに執筆した『看護婦派出心得』に「なぜ伝染病対策に熱心に取り組むか?」の理由を書いています。
「伝染病の如きは、独り病人を看護するのみの目的にあらずして、一家村市都府あるいは全国にも及ぼすものなれば、看護婦の任、又大なりといわざるべからず。」
「看護を以て天職となすもの、この国難に際し、不幸なる同胞を助け」
大関和は、感染が広がり蔓延することを「国難」と捉えていたのでした。(下の赤線部分参照)
3ページ目 “その先”に広がる感染を見事に防いだ大関和の功績


