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朝ドラ「風、薫る」りんを巡る三角関係の予感?横沢公輔(井上祐貴)とシマケン(佐野晶哉)の決定的な違い

朝ドラ「風、薫る」りんを巡る三角関係の予感?横沢公輔(井上祐貴)とシマケン(佐野晶哉)の決定的な違い:3ページ目

挿絵も多く文章も読みやすかった「小新聞」

明治7年ごろからは、「大新聞」に対して「小新聞」が登場します。「大新聞」と比べると、値段も大きさも半分ほどでした。(大新聞は50〜70銭、小新聞は20銭ほど)

さらに大きく異なったのはその内容です。堅く難しい文章で政治を語る「大新聞」と比較すると、「小新聞」は、日常のニュース・心中事件・人情話などが中心。

政治に対しても風刺を効かせたネタなどで、誰でも気軽に読めるようにと、漢字にはルビがふられ文章もわかりやすく書かれた記事が中心でした。

明治7年(1874)に創刊となった『読売新聞』は「小新聞」の代表的なものでした。

また、明治8年(1875)創刊の『平仮名絵入新聞』『仮名読新聞』『浪花新聞』、明治12年(1879)創刊の『朝日新聞』などがあります。

「小新聞」は文章が読みやすいだけではなく、挿絵が多かったのも特徴です。

生きている人々の声を伝えた「小新聞」

実際に、「小新聞」で人気だったという心中事件の記事。

思い出すのは、前述のシマケンが東京明光新報に書いた女郎の夕凪(村上穂乃佳)の心中事件の記事と、『娼妓解放とは名ばかりか』という論説です。

当時、政府は名前ばかりの芸娼妓解放令を出したものの、法令としては機能せず、女郎たちの状態はほぼ変わらないのが現状でした。

シマケンの論説では、女郎の「夕顔」が、幼馴染の姿や二人で生きる人生を思い浮かべては打ち消し、どこにも居場所がない様子などが表現され、論説というよりも、まるで小説のような内容。

自由廃業になったところで行き場がない……そんな「夕顔」の悲しみが伝わる記事は世間では大反響でしたね。

シマケンの記事で世間の注目を集めることになった病院は、最初は「女郎は後だ!」と差別していたのに「しっかり回復させるように」と態度を豹変」。

周囲の人々からは「頑張って」と温かい声をかけられるようになりました。

結果的に、シマケンは文章で夕凪を助けることに繋がりました。それがわずか一人でも。

シマケンが記事を書いた東京明光新報は、「大新聞」のように、政治論争新聞ではなく、今ここで生きる人々の嘆きや苦痛の声を読者に伝える「小新聞」だったのではないでしょうか。

庶民の間で起こる出来事だからこそ、庶民が読んで共感したり憤慨したりができる。

「小新聞」は「大新聞」よりも売れていきました。

その後、自由民権運動の衰退とともに「大新聞」は政治論では読者を引き付けられなくなります。とはいえ、日常の記事だけでは飽きられるし、物足りない。

そこで、政治や経済とともに娯楽面も取り入れた「中新聞」化が進んでいったのでした。

4ページ目 「金持ち優遇」に対し怒りに燃える新聞記者・横沢

 

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