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朝ドラ『風、薫る』りんが赴任した高越女学校のモデルは実在━━新潟で待つ“運命の再会”につながる史実

朝ドラ『風、薫る』りんが赴任した高越女学校のモデルは実在━━新潟で待つ“運命の再会”につながる史実:3ページ目

「高越女学校」のモデルは「高田女学校」

さて、ドラマに登場する「高越女学校」は、架空の学校ですが、大関和も明治23年(1890)から新潟県「高田学校」の舎監として1年間在籍しています。

モデルとされる「高田女学校」(現・新潟県上越市)は、高田盲学校を設立した大森隆碩ら、教育熱心な地元の名士たちが、メアリー・トゥルーに協力を依頼して誕生した学校です。

大森隆碩は、高田藩の医師の息子として生まれ、15歳から眼科について学び医学と英語を身につけた人。

明治24年(1891)に「私立高田盲学校」を設立、私財の多くを学校の運営にあてた人です。隆碩はクリスチャンでもあり、地元の「廃娼運動の主導者」的な存在でもありました。

ドラマ内では、高越女学校の校長先生は、望月勘治(関智一)という人物です。

公式サイトによると、「女性にとっていちばん幸せなのは、良縁に恵まれることだと信じている。」人物だとか。

望月はりんと初対面の挨拶時に、「大地主羽田家の奥様のご機嫌はとにかく損ねないように」と釘を刺していました。

話を盛って話すテツの性格は理解しているようですが、揉め事はおこしたくないタイプなのかもしれませんね。

「高田盲学校や「高田女学校」の創立に尽力した大森隆碩校長と、ドラマ内の望月校長は今の時点では共通点は感じられませんが……この後どうなるのでしょうか。

実際、高田女学校の寄宿舎には、女学生が約30人いたそうです。もともと看護婦養成所でも共同生活だった和は、女子ばかりの共同生活に特に違和感はなかったそうです。

ドラマでは、りんは、女子学生たちに食事を提供したり、掃除の仕方を教えたり、お裁縫や英語を教えたりして馴染んでいるようでした。

窓の拭き方の雑さを生徒に注意する場面は、バーンズ先生に掃除方法の雑さを指摘されていた看護婦養成所時代を思い出しますね。

4ページ目 突然出会った「社会運動」のビラ

 

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