朝ドラ「風、薫る」りんの運命の相手になる?横沢公輔(井上祐貴)のモデルとされる木下尚江の生涯:3ページ目
新潟県高田で大関和と運命的な出会い
明治24(1891)年、尚江は禁酒・廃娼運動のため、新潟県高田を訪れました。
この高田で出会ったのが、朝ドラ「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りんのモチーフとなった大関和です。
大関和は高田女学校で舎監兼伝道師を務めたのち、知命堂病院の看護長として看護と看護教育に携わりました。尚江と大関は、キリスト教信仰や女性を取り巻く社会問題への関心を通じて接近したと考えられます。
後年の研究や回想では、二人が結婚を考えるほど親しい関係にあったとされています。
朝ドラの横沢公輔が新潟の新聞記者としてりんを気に掛ける設定には、こうした尚江と大関和の史実が、何らかの形で反映されている可能性があります。
明治26(1893)年、尚江は代言人試験に合格しました。
代言人は、現在の弁護士にあたる職業です。尚江は松本で法律事務所を開き、人々の争いや訴訟に向き合いました。
同じ頃、『信府日報』の主筆に着任します。
尚江にとって法律と新聞は、別々の仕事ではありませんでした。法律によって一人ひとりを救う一方、新聞によって制度や社会そのものを変えようとしていたのです。
同年、尚江は正式にキリスト教の洗礼を受けました。
明治30(1897)年、尚江は中村太八郎らとともに、松本で普通選挙運動を始めます。
当時の衆議院議員選挙では、一定額以上の税金を納めた成人男性にしか選挙権がありませんでした。貧しい男性や女性は、国民でありながら政治に参加できません。
尚江らは松本普通選挙期成同盟会を結成し、納税額に左右されない選挙権を求めました。松本で始まったこの運動は、日本における普通選挙運動の先駆けと評価されています。
しかし、同じ明治30(1897)年、尚江は県会議員選挙をめぐる疑獄事件の容疑で逮捕。収監されてしまいました。普通選挙を求めた行為そのものが罪に問われたわけではありませんが、政治と選挙をめぐる事件に巻き込まれたと考えられます。
このとき、尚江の心の支えとなったのが大関和でした。大関は収監中の尚江に差し入れを行っています。
明治31(1898)年、尚江は出獄。後に無罪となったとされます。
鉄格子の内側で過ごした時間は、尚江にとって人生の大きな転機となりました。後年、自身の獄中生活を自分の人生を再生させた経験として振り返っています。
